
JAFの会員冊子に「幸せって何だろう」というコラムのページがあります。
私はそれを読むのが好きで、いろんな方々の「幸せ」というものの考え方を読み、フムフムと思うのです。
今回のコラムに、「閾値」(いきち)という言葉が出てきて、考えさせられた。
私は子供の頃、ない状態が多かったように思う。
ない、足りない、と思っても満たす術もなく、わがままを言っても与えられるわけでもなく、諦めるか我慢するか、いつしか満たすということすら忘れていたり。
でも、そのことで、私の閾値が低いままであるのかなと思った。
だからこそ、ちょっとした出来事で嬉しくもあり、楽しくもあるのかなと思った。
もし、満たされ、もっともっと、と思っていたら、私の閾値は今より高かっただろう。

空を見て、ふと長く会えていない友人の顔を思い出したり。
そんなことで、と思う人もいるかもしれないが、会いたいなと思える友人の存在や、空を見上げる時間があることに、ありがたいなと思う。
コラムの筆者が「幸せは探し求めるものではなく、気付くものなのだ」と書いていました。
野菜を育てていて、うまくいかないと、なぜだろうと疑問がわいたり、これからうまく作れるようにとやる気が出たり、続けていくことで見えるようになること、楽しくなること、気付くこともあります。
幸せの閾値。
みなさんにとって幸せって何ですか?
双葉を見ると、ふふふっと嬉しくなるスタッフ渡辺でした~(*^-^*)

